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トラベル日記

投稿日:2017年03月15日

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タンホイザーの舞台になった城があるアイゼナハから鉄道で

東へ30分のところにあるエアフルトは、742年に建都した歴史ある町。
第二次世界大戦による被害も少なく、教会や修道院、古い木組みが数多く残り、
中世の繁栄を今に伝える、寄り道するのにちょうどよい大きさの町。

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ゲーテが初めてエアフルトを訪れたのは1765年。

ライプツィヒの大学へ進学した16歳から幾度となくエアフルトを訪れます。
そしてゲーテが敬愛するマルティン・ルターは、
エアフルトの大学で5年間哲学の勉強をしています。
そしてゲーテの大ファンだったナポレオンは、1806年にエアフルトを侵攻し、
かつてマインツ大司教が築かせたペータースベルク要塞を軍事拠点にします。

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エアフルトの駅から北に10分ほど歩いたところにあるのが、

1808年にナポレオンがエアフルトで
王侯会議を開いた場所カイザー・ザール(皇帝の広間)。
大学の舞踏会用のホールで、ゲーテが舞台監督を務め、
シューマンやリストが演奏し、
シラーの「ドン・カルロス」の初公演が行われた由緒あるところ。
ホールは現在、イベントなどで使用されています。
決して広くはありませんが、白いバルコニーと天井画が優美なホールです。

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ゲーテの「若日のウェルテル」の大ファンだったナポレオンは、

エジプト遠征に持参し7回も読み返したそう。
ゲーテファンのナポレオンは今日の州庁舎に招き謁見した際、
ゲーテにレジオン・ド・ヌール勲章を授けています。
レジオン・ド・ヌール勲章といえば、
昨年、世界の北野武が同勲章を授かったことで話題になりましたね。

こちらのナポレオン人形は、カイザー・ザールの館内で出迎えてくれるのですが、
微妙にリアルでコワイ。
ナポレオンの身長は168cmと小柄だったのですが、
この人形は150cmにも満たない。
それはデフォルメしすぎじゃない?

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カイザー・ザールの前の道をまっすぐ進むと、川の上に家が建つクレーマー橋。

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「商人の橋」を意味するこの橋は、

木組み家屋付きの石橋で路面店が軒を連ねるショッピングストリート橋。
11世紀に建造されたこの橋は、
フィレンツェにあるポンデ・ヴェッキオ橋よりも100年以上古いのです。

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橋の上のショコラティエ「ゴールドハイム・ショコラーデン・

マニュファクチュア」はドイツ国内でも人気のチョコレート専門店。
口に入れた瞬間にとろけ出す濃厚な香りと滑らかな舌触りは極上です。
お値段もリーズナブルでお土産にぴったり。

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橋の上はカフェや雑貨屋などが軒を連ねる賑やかな通り。

橋の両側のショップを覗きながら歩くのが楽しいところです。

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可愛らしいディスプレイの古本屋さん。店内を覗いてみたくなります。

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クレーマー橋を渡り、10分ほど歩くと大きなカテドラルが見えてきます。

見上げるような聖マリア大聖堂とゼヴェリ教会、
その間にはドーム広場から大階段が続きます。

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内部は薄暗く、わずかな光が祭壇のイエスを照らしていました。

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華麗な祭壇やステンドグラスは、かつてこの街が繁栄していた証。

大聖堂の中にはステンドグラス、マリア祭壇画など貴重な美術品があるので、
時間をたっぷり取っての見学がおすすめ。

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日がくれた後のカテドラルはとても美しいです。

12月は広場でクリスマス・マーケットが開催されています。

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振り向けば旧市街も、イブニングドレスに着替えたかのような

優美な姿になっていました。
ちょっと立ち寄りがいいといいましたが、
夜の町を眺めて1泊くらいするのもいいですね。

ドイツ観光局


※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。


写真・文/鈴木博美

旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
雑誌媒体等に海外各地の旅の記事を寄稿。
著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
世界中の美味しい料理をおうちで作る「いつもの食材で作る世界の料理レシピ」。
ブログ「空想地球旅行」で旅のあれこれを発信中。

投稿日:2017年03月08日

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ドイツ中部の豊かなテューリンゲンの森に囲まれた小さな町アイゼナハ。
ゲーテやルター、バッハとの縁も深く、丘の上のヴァルトブルク城は世界遺産。
あまり表舞台に登場しませんが、中世ロマン漂う街並みが人気の観光地です。

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アイゼナハの駅から15分ほどあるいたところにある「バッハハウス」は、

バッハに関する資料や視聴覚室がある記念館。
バッハはアイゼナハで生まれ、少年時代までここで過ごしました。
記念館はバッハ親族の住まいだった建物を改造したものです。

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館内に入ると、ちょうどチェンバロよるミニコンサートが始まるところでした。
この部屋にはバロック時代の貴重な弦楽器や楽譜が展示されています。

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ミュージックルームではカプセルのような
椅子に座ってバッハの世界に浸ることができます。

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バッハハウスを後に、丘の上に立つバルトブルグ城へ。
元気のある人は徒歩で30分。
バスもありますが途中から10分ほど山登りします。
この城のはじまりは1067年。ヴァルトブルク城は、1067年に
テューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーの
命で城塞として建設され、
その後に増築を重ね、現在の姿になりました。
これほど歴史の密度が高い城もそうありません。


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煌びやかな部屋はハンガリーから輿入れしたエリザベートの部屋。

王女エリザベートは、14歳の時に城主の息子ルートヴィヒと結婚します。
しかし、ルートヴィヒが従軍中に死亡すると、城を追い出されてしまいます。
その後は貧しい人々の救済に尽力し、病に倒れ24歳の若さで亡くなります。
その4年後、ローマ教皇の命により彼女は列聖されます。

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12世紀頃、大広間ではミンネゼンガー(吟遊詩人)たちによる
歌合戦が日々催されました。
その様子を19世紀の音楽家ワグナーが歌曲にしたのが、
歌劇「タンホイザー」です。
ここがネタ元だったのですね。

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この城が有名な理由のひとつとして、
宗教改革者ルターとの関係が挙げられます。
1521年にルターはローマ教皇から破門された上に、
神聖ローマ皇帝カール5世からも帝国を追放されます。
そんな彼をこの城にかくまったのがザクセンのフリードリヒ3世でした。

かくまわれていた約1年の間に、
当時ラテン語以外で記すことを禁じられていた聖書を、
1年かけてドイツ語に翻訳し、誰もが読める聖書が完成しました。
これは後に、ドイツ語の発展の基礎にも繋がったのでした。

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ルターを尊敬していたゲーテは、自身がワイマール宰相となってからも、
ヴァルトブルク城の修復を指示しました。
その甲斐あって私たちもこうやって見学できているわけです。
ゲーテさんありがとう。

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城の一部として隣接しているホテルのレストランではテューリンゲンの森を
眺めながら伝統料理をいただくことができます。
ドイツ国内でも一目置かれるテューリンゲンの焼きソーセージもありますよ。

ドイツ観光局

※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。

写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
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著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
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世界中の美味しい料理をおうちで作る「いつもの食材で作る世界の料理レシピ」。
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投稿日:2017年03月01日

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フランクフルトから東へ110キロ、列車はフルダに到着します。
フルダは、ゲーテがライプツィヒの大学から
フランクフルトの実家に帰る途中で必ず宿泊した街。
模範的な修道院の街としてローマ法王から様々な優遇を受けて発展した宗教都市。
みごとなバロック様式の建造物が多く見られる
「バロックの街」とも呼ばれています。

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18世紀初頭に建てられた美しいバロック様式の市宮殿は、
かつてフルダ領主司教の私宅でした。
当時司教に与えられた絶大な富と権力を象徴しています。

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華やかな大広間では市議会が開かれます。
議会よりも晩餐会のほうがしっくりきます。

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マイセンによく似た素晴らしい磁器は、以前この地方で焼かれていたフルダ焼き。
途中で粘土の入手が困難となり、採算が合わないという理由から、
わずか25年で製造が打ち切られた幻の陶磁器といわれています。
ちなみにブラウン管を発明したフェルディナント・ブラウンさんは
フルダ出身なのだそう。
ブラウン管の仕組みが館内に展示されています。

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市宮殿からも見えるバロックの威厳あるカテドラルには、
フルダの守護聖人である聖ボニファティウスが眠っています。
ボニファティウスは744年に、フルダにベネディクト派の修道院を創設し
活動範囲を広げていきました。
その約10年後、ミサの最中に異教徒に襲われ殉教。
その後ドイツの聖人となりました。

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ボニファティウスの墓は主祭壇の下にあり、
地下へ下りる階段で行くことができます。

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石畳の路地に温かな明かりが漏れていい雰囲気です。

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さて、ゲーテ。ライプツィヒの大学に遊学していた1765年、
公共交通機関がなかった時代、移動手段として使われていたのが郵便馬車。
フルダはフランクフルトからワイマールへと向かう郵便馬車の中間に位置し、
停泊地となっていたため、帰省するたびに行きも帰りも
必ずフルダで1泊したのでした。

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ゲーテの常宿として知られているのが、

「ホテル・ゴールデナー・カルプフェン(金鯉亭)」。
ガイドブックなどにもそう書いてあります。
ホテルの入り口にある看板には、
『ゲーテは1765年10月に初めてフルダに宿泊しました。
その後、何度か逗留するうちに“ゲーテの西東詩編”の一部を創作しました。』
と書いてあり「常宿」とは書かれていません。

詳しく聞くと定宿はここではなく、すぐ近くにあった(現存していない)
白鳥亭とのことでした。
なんという紛らわしい看板。鯉ではなく白鳥だったみたいです。

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ホテル・ゴールデナー・カルプフェンは100年以上続く老舗のガストホフ。
クラシカルな内装の客室からは老舗の風格が滲み出ています。

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各階の通路にはまるでギャラリーのように絵画が飾られています。
私が泊まった部屋の階は、何でもデブキャラにしてしまう
「ボテロ」コレクション。
毎回、部屋までの行き来が楽しみです。

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1Fはフルダで予約が取れにくい人気のレストラン。
予約制の「ゲーテ・メニュー」は、ゲーテの好物など
ゲーテゆかりの料理を提供するコース。
肉ドーンではない上品なコースです。
人気なだけあり、とても美味。


ドイツ観光局


※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。


写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
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著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
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投稿日:2017年02月22日

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ゲーテが甘酸っぱい青春を送った町ヴェッツラーは、
世界のカメラ「ライカ」が生まれた町。
町の外れにライカファンの聖地のひとつ「ライツパーク」があります。
本社工場の一部が公開され、いつでも誰でも見学できるようになっています。
そりゃ行かないわけにはいきません!

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ヴェッツラーの駅からは徒歩20分。
駅前からバスが運行しています。
2014年に完成した本社ビル。
35mmフィルムへのオマージュ的なクールなデザインです。

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自然光と白い壁でとても明るく洗練された社屋にテンションが上がります。

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壁に沿って何度も目にしたことがあるライカが写してきた
著名な作家によるドキュメンタリー写真が並んでいます。
ここだけでも1時間過ごせます。

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見学通路のガラス張りの向こうは工場で、
作業説明がムービーで映し出される仕組みになっています。

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1913年の創設から今日までの歴史年表が壁に描かれています。
イラストもかっこいい。

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歴代のすべてのライカカメラやレンズが歴史順に展示されている
「ライカ博物館」でもあります。
工業先進国ドイツを見せつけられます。

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屋上に出ると町を一望。本社敷地内に研修施設やホテルを建設中です。

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ライカ・ストアも忘れちゃいけません。
オリジナルのライカTシャツやトートバッグ、
文具などお土産になりそうなものも販売しています。
もちろんカメラも。日本で買うよりもかなりお得です。

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楽しい見学が終わったらカフェで一息。
ここでも白へのこだわりが感じられます。
ケーキが美味しかった。

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ヴェッツラーの街角にライカの案内板が掲げてあります。

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一見マンホールに見えますが、この場所に立って
35mmフィルムを使用した一号機「ウル・ライカ」の最初の一枚が写されました。

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1913年当時のヴェッツラーの町の風景。
当時の服装などが時代を物語っています。

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現在の町の風景。ほとんど変わっていません。
100年経った今でも家並みや道まで同じ。
ヴェッツラー市民がいかに自分の町に誇りを持っているかが伺えます。


ドイツ観光局


※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。


写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
雑誌媒体等に海外各地の旅の記事を寄稿。
著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
世界中の美味しい料理をおうちで作る「いつもの食材で作る世界の料理レシピ」。
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投稿日:2017年02月14日

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フランクフルトから鉄道で北へおよそ1時間。
木組みの立派な家並みが素敵な小さな町ヴェッツラーへ。
ここは、ゲーテが23歳の時に叶わない恋に落ちた町。
そしてカメラ界のレジェンド「ライカ」が生まれた町。
町にはゲーテの足跡が今も残り、カメラオタクでなくても
行っておきたいミュージアムがあります。

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町を歩くあちらこちらにゲーテの面影をみることができます。
ゲーテの人生において、ヴェッツラーは甘く切ない青春の町。
失恋物語は「若きウェルテルの悩み」のモチーフとなり、
発売するとたちまち当時の若者の心をわしづかみにしました。
各国で翻訳されミリオンセラーとなったのです。
あのナポレオンでさえ、エジプト遠征中に9回も読んだといいます。

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食事中に小説の中で描写された、いで立ちで現れたゲーテ。
この服装は小説が大ブレイクした当時、ドイツ中に青い燕尾服に
黄色のチョッキと黄色のズボン姿の人が町中にいたそうです。
流行の現象はいつでも同じなのだなと関心。
さて、この紳士、もちろん本物のゲーテではありません。
町役場の人がゲーテの姿になって物語を演じてくれます。

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石畳のコンマルクトの一角にある一軒家の2階にゲーテは下宿していました。
現在はステーキハウス。

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靴の修理屋さん。
窓越しのお仕事風景も絵になります。

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黄色の家の左手に立つ木組みの家は、恋の悩みからピストル自殺をした
ゲーテの友人が住んでいた家。
友人がした行為は、小説の中で主人公の結末になっています。
つまり小説は2部構成になっていて、半分はゲーテ
もう半分は友人の体験を元に書いているのです。

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ゲーテが恋したシャルロッテが、1753年の生誕から
73年の結婚まで暮らした家。
ゲーテがここへ足繁く通ったことも記録に残っています。
現在は「ロッテハウス」として保存され、
博物館として『若きウェルテルの悩み』の初版や史料を展示しています。

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町を歩いていると、時折中世の服装をした人たちとすれ違います。
のどかな木組みの家の街並みを歩いていると、
何だか小説の世界を旅しているみたいです。


ドイツ観光局


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写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
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著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
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投稿日:2017年02月08日

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ドイツは「ロマンティック街道」や「メルヘン街道」など、
テーマに沿った史跡や風景などを結んだ150ルート以上の街道があります。
その一つであるドイツ中央部を東西に走る「ゲーテ街道」は、
1990年のドイツ再統一により誕生した東西ドイツを結ぶ最初の観光街道。
フランクフルトからドレスデンまで小さな町から町へ
鉄道で旅する約400キロは、ゲーテの物語の他にも、
おいしい郷土料理や地ビール、音楽や芸術など
思いがけない楽しみに溢れていました。
大都市から表舞台に出てこない小さな町まで、隅々までたっぷり案内します!

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旅の始まりは大都市フランクフルト。
ビジネスマンたちが行き交う金融街を抜け、
買い物客でにぎわうショッピングエリアを通り、
マイン川の南に広がるザクセンハウゼン地区へ。
ここは古風な酒場が軒を連ねる下町エリア。
おいしいお酒とおいしい地元料理を求めてたくさんの観光客がやってきます。
もちろん地元民も。

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ザクセンハウゼンで見逃せないのが、
街に古くから伝わる醸造酒のリンゴ酒「アプフェルヴァイン」。
フランクフルターはアップルワインを愛してやみません。
1931年創業のアドルフ・ワーグナーは、地元でも有名な酒場レストラン。
人気店だけあって、ランチタイムから満席のことが多いので
少し時間をずらして行くのがおすすめ。

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日替わりや週替わりのメニューもあり、料理も充実していますが、
見逃してはならないのがグリューネゾーセ。
フランクフルト名物のハーブソースです。
このソースもまた、フランクフルターが愛してやまないものなのです。
毎年5月にはグリューネゾーセ・フェスティバルが開催され、
もっとも美味しいソースを競います。
2016年のチャンピオンがここアドルフ・ワーグナー。
基本はジャガイモとゆで卵にかけて食べるのですが、
シュニッツェルにかけて食べるのをおすすめしたい。
ゲーテも好きだったソースだと地元の人は言いますが、
証拠となる文献はないそう。
いずれにしろゲーテもグリューネゾーセもフランクフルターの誇りです。

Apfelwein Wagner

住所:Schweizer Strase 71 Frankfurt am Main
営業時間:11:00~0:00
HP:http://www.apfelwein-wagner.com

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レーマー広場の直ぐ近くにゲーテが生まれてから
16歳まで過ごした生家があります。
現在は博物館として運営され、裕福な家庭に生まれたゲーテの
贅沢な暮らしぶりを伺うことができます。
家は第二次世界大戦で大きなダメージを受けましたが、
忠実に復元され、疎開させていた家財道具が戻されました。

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4階建ての家には子供部屋や、書斎、リビングルーム、

キッチンなど再現されています。
ゲーテの部屋に置かれていた木製の大きな箱。
ゴミ箱のようですが、これがゲーテ25歳のときに出版された
「若きウェルテルの悩み」を書き下ろした立ち机。
ゲーテは、小説は立って書いた方が捗ったのだそうです。
ゲーテの胸像や肖像画などが展示されたゲーテ博物館も併設されています。
決して大きな博物館ではありませんが、ゲーテゆかりの品々や
1700年代の富裕層の暮らしが見られるので、見応えは十分にあります。

フランクフルター・ゲーテハウス

住所:Groser Hirschgraben 23-25
60311 Frankfurt am Main
営業時間:月~土10am-6pm 日・祝日10am-5.30pm
HP: http://www.goethehaus-frankfurt.de


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投稿日:2017年02月01日

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シルクロードの面影を今に残す中央アジア・ウズベキスタン。
来年4月1日から30日以内の観光目的滞在の場合、
査証(ビザ)免除となりました。
ウズベキスタンは、サマルカンドやブハラ、
三蔵法師が滞在した仏教都市テルメズなど歴史ロマンの宝庫。
親日家も多い国なんです。

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玄関口となる首都タシケントはウズベクで発掘された
貴重な史料を展示する博物館や、ソビエト時代の面影が感じられる
豪華なデコレーションが施された建物や地下鉄など街歩きを楽しむことができます。
一方で旧市街には庶民の台所となるバザールでは、
下町の活気ある雰囲気も味わえます。
マドラサと呼ばれるモスク一体の神学校などの見学可能。
異文化体験もできます。

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タシケントから列車で南西へ3時間ほど走ったところにある
世界文化遺産の古都サマルカンドは、
ウズベキスタンでもっとも有名な観光地。
天を表す青色で塗られた建物と青空が広がる
「青の古都」とも呼ばれています。
紀元前3世紀にはアレキサンダー大王がこの地を訪れ、
文明レベルの高さに感嘆したとも言われています。
13世紀にモンゴル軍の攻撃で破壊された後、ティムール王によって
各国から建築家が招集されて、現在の美しい青の都が生まれました。
その色は「サマルカンドブルー」と呼ばれ、
サマルカンドを象徴的する色となりました。
現在も数多くの青いモスクや霊廟をはじめとする、
美意識の高い数多くの建築群を見ることができます。

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サマルカンドから列車で西へ3時間ほど走ったところにある古都ブハラもまた、
13世紀にチンギス・ハーンの来襲でほぼ壊滅してしまいました。
その後、16世紀のシャイバニ朝の時代に復興し、
再び多くのモスクやマドラサが建築されました。
20世紀の初頭までブハラ・ハン国の首都が置かれ、
シルクロード交易の重要な拠点として栄えたオアシス都市です。
「タキ」と呼ばれるドーム屋根付きのバザールには、
鍛冶屋やカーペット屋、土産屋などが集まり、
今でも当時の面影を残す旧市街を歩いていると、
タイムスリップしたような気分になります。

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タシケントから空路で南へ1時間30分ほどのアフガニスタン国境付近にある
仏教都市テルメズは、今から約2千年前に中央アジア一帯を席巻した
ガンダーラ世界の一都市でした。
日本の調査団の協力もあり、たくさんの歴史的遺跡が
今も発掘され続けています。
この地に一歩足を踏み入れた瞬間から「ゴダイゴ」の旋律が頭を駆け巡りますよ。
夕日に染まりシルエットに浮かぶ仏塔を歩く人の姿が、
西遊記の一場面を思い起こさせます。

ビザ免除となり、もっと気軽に訪れるようになったウズベキスタン。
来年は古代ロマンあふれる旅に出かけてみませんか?



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投稿日:2017年01月25日

成田⇒ソウル/仁川

DeNAトラベル 2016新卒Sです!
今回、アシアナ航空の研修旅行に参加させていただきました!
OZ101の試乗体験ができるとのことで・・・研修前からワクワク。

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成田空港第1ターミナル。搭乗手続きを済ませると、
なんと二階建ての大きい機体がお出迎えしてくれた。
他の機体と比べ明らかに大きい・・・!
OZ101だ。

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今回は特別にOZ101のファーストクラス、ビジネスクラスを体験させていただくことに!

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二階建ての飛行機に乗るのも、エコノミー以外の席に座るのもはじめてだ♪
いったいどんな振る舞いで乗り込めばいいのか・・・・。
そんなことを考えながら研修旅行ははじまった(笑)

ファーストクラス。
まず、モニターの大きさに驚く。
どかーん!と目の前にモニターが!なんと32inch!
そして個室にできる仕様。席は広いし、フルフラットにもなる。
こんなに快適に過ごせるなんて・・・
やはりファーストクラスは素晴らしい!!!(涙)

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ビジネスクラス。
こちらは個室にはならない。
しかし!!!!座席が横並びではなく互い違いになっているので、
横の人が気にならなく、まるでプライベート空間。最高!
もちろん席もエコノミーより圧倒的に広く、足も伸ばせるようになっている。
ビジネスクラスも大満足!

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はじめてのファーストクラスや、ビジネスクラスは
乗った瞬間からはじめて受けるサービスばかり。

・コートを預かってくれる
・ウェルカムドリンク的なものがでてくる(グラスで)

ん~やはりエコノミーとは違う!

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いつもだったら、離陸してしばらくするまで水を飲めないので、
搭乗前に水を買って席についたらすぐ水を飲めるように準備しているのだが、
今回はその心配がない。
そしてコートもシワがつくことがないのだ♪

安心。そして優雅に離陸✈

興奮して座席を倒してみたり、映画を観ていたりしたら、食事の時間になった。
洋食か、韓国食か選択できたが、韓国食のビビンバに決めた。


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本格的な味でとても美味しい!!    
ちなみに、洋食はこんなかんじ。

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こちらも美味しい。
機内食は飛行機に乗る楽しみの一つなので、テンションが上がりますよね♪

お腹いっぱいになり、ほろ酔い気分でのんびりタイム。
こんな時に、足を伸ばせてくつろげる空間があるのは本当に良いなと感じた。

そんなこんなで引き続き満喫していたらソウル/仁川に到着。
最高な気分の空の旅はあっという間に終わってしまった。


【総括】
なかなか乗れないファーストクラスやビジネスクラス。
座席の快適さはもちろんのこと、きめ細やかなサービスはやはりエコノミーとは別格。
女子的に嬉しかったのはトイレのアメニティ。
なんとロクシタン。こういう細かいところに気づくと嬉しさ倍増。
もちろん金額もエコノミーとは別格だが、この快適さを知ってしまうと
「頑張ってビジネスクラスやファーストクラスに乗ろう!」と思える。

最近、LCCを利用して旅行に行くことも増えているのだが、
今回の体験で、フルサービスキャリアのサービスの充実さを改めて実感しました。

空の旅にお金をかけるのも良いですね♪


写真・文/DeNAトラベル 2016新卒S

投稿日:2017年01月24日

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バーゼルといえば、世界最大の時計とジュエリーの
国際見本市「バーゼルワールド」。
そんな商業都市としてのイメージが強いですが、
中世の面影を残す旧市街、ライン川沿いの美しい街並み、
充実した美術館など、実は見所が多く密かに人気の街なのです。
その上、フランスとドイツにも接しているので
拠点として動くのにも最適なのです。

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バーゼルはチューリッヒ、ジュネーヴに次ぐ第三の都市。
ドイツとフランスの国境に接し、ライン川を挟んで街が広がっています。
2千年の歴史を持つ古都は、あちらこちらに古代や中世の面影を残す
文化の香りがする街。
中世のバーゼルは周囲を防護壁に覆われた要塞都市でした。
シュパレン門は当時の街の入り口で
「スイスで最も美しい門」と言われています。

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街の中心を蛇行して流れる母なる大河「ライン川」。
古くから水運の要衝とされ、ライン川の恵みで発展しました。
ライン川の両岸を渡し舟が結んでいます。
川幅200メートルを4分で結ぶ渡し舟は100年以上の歴史を持ち、
今も観光客や市民の大切な足として欠かせない存在。
舟にはエンジンが無く動かしているのは川の流れ。
川に対して船を斜めにすることで、水に押されて真横に動いているのです。
この仕組みはレオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀にイタリアで考案したそうで、
「ダヴィンチの渡し舟」と呼ばれています。

004
治安の良いバーゼルなら、路地裏探検も安心して楽しめます。
気になる路地を適当に歩いても、赤色の市庁舎やライン川など
目印があるので心配ご無用。

005
スーパーマーケットも覗いてみましょう。
特にチョコレート売り場の充実度には目を見張るものがあります。
棚の上から下まで端から端まで全て板チョコ。その光景は壮観です。
どれもパッケージを見る限り美味しそうで、全部試したくなります。
ミルクチョコレートやナッツ入りなど4枚ほど購入して試食しましたが、
全部美味しい!お土産にもぴったりです。

006
バーゼルは街にアートが溢れています。
シアターバゼルの広場に何気なく設置されているのが、グッゲンハイムや
MoMAなどの現代美術館で展示されているリチャード・セラの
鉄の巨大な湾曲アート。

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リチャード・セラの直ぐ近くの広場にはバーゼル出身の現代アートの巨匠
ジャン・ティンゲリーのメタル作品が水を吹きまくっています。

008
ティンゲリーの噴水からライン川を渡って川沿いを東に歩いていると、
古い工場跡を発見。
現在はスタジオや劇場、カフェなどが入ったワークスペースになっていました。

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さらにもう少し行ったところに、ティンゲリー美術館があります。
ティンゲリーの恋人だった芸術家のニキ・ド・サンファルの作品も
展示されています。
廃材等を利用した機械仕掛けの作品はどれも動きに惹きつけられ、
大人も子供も夢中。不思議な機械や作品で満ち溢れています。

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さまざまなワークショップがあるのも魅力のひとつ。
機械作品を動かしてみたり、バルーンルームで風船に埋もれたり、
動く作品を作り続けたティンゲリーらしい体験型の美術館です。

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オノヨーコの前衛的な作品も常設しています。

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ティンゲリー美術館から、トラムとバスを乗り継いで東へ25分ほど
行ったところにあるバイエラー財団美術館も押さえておきたい美術館。
レンゾ・ピアノによる建築空間と自然の景観が調和した展示に心が休まります。
バイエラーのもうひとつの魅力は著名揃いの常設展。
美術商だったバイエラーのコレクションとして、モネやセザンヌ、
ルソー、ピカソ、ミロなどの20世紀始めの印象派、
ポスト印象派など200点ほどの絵画・彫刻が展示されています。
特に庭の池に面した大きなガラス窓の空間に展示されているモネの
「睡蓮」とジャコメッティの彫刻は見逃せません。

013
バイエラーから中心地に向かう途中で乗り換えた「メッセ」は、
バーゼルワールドの開催地。
まるで宇宙船のような建築はバーゼル出身の建築家
ヘルツォーク&ド・ムーロンによるもの。

014
夕景を眺めに再びライン川へ。
中世の面影を残す街並みと、たおやかなライン川がとてもロマンチックです。
11月の下旬からクリスマス前までに訪れれば
3ヵ国のクリスマスマーケット巡りもできます!


※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。


写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
雑誌媒体等に海外各地の旅の記事を寄稿。
著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
世界中の美味しい料理をおうちで作る「いつもの食材で作る世界の料理レシピ」。
ブログ「空想地球旅行」で旅のあれこれを発信中。

投稿日:2017年01月17日

001
毎年2月から3月の間に行われるキリスト教のカーニバル(謝肉祭)と
土地の民族行事などが混ざった盛大な祭り「ファスナハト」。
スイスやドイツの各地で開催されていますが、ここバーゼルでは
午前4時の「モルゲシュトライヒ(夜明けの一撃)」と呼ばれるパレードで、
ファスナハトの幕が開け72時間お祭りは続きます。
期間中は祝日扱いでお休みになる会社も少なくない、
スイス最大のお祭りなのです。

002
バーゼルのファスナハトの歴史は古く、
1376年の文献にすでに記されている、
中世から続くスイス最大の祭りです。
この時ばかりは実直なスイス人も羽目を外すことを
自分に許す最高の3日間なのです。
だからみんなの気合のいれ方が違います。
午前3時45分。旧市街の中心は身動きが取れないほどの人の渦。
明治神宮の初詣を彷彿とさせます。

003
午前4時ぴったりに街灯が消えピッコロの甲高い音と
ドラムの音色が街に響きます。
大きなランタンを載せた山車と、「クリッケ」と呼ばれ
約470もの地元青年団風のグループが仮装して、
ランタンを頭に提灯を乗せてピッコロと小太鼓の独特なメロディーを奏でながら
街中を練り歩きます。
早朝の真っ暗な街中を行進する様は、
まるでおとぎ話の世界に迷い込んだような不思議な感覚。

004
チームは4-5人~100人を超す大所帯までさまざま。
「グッゲ」と呼ばれる主にピッコロとドラムで構成されている
音楽隊が奏でるメロディーが妙に耳に残ります。

005
毎年身近なトピックや社会的問題、政治をテーマに
皮肉とユーモアを込めたランタンを制作します。
今年のテーマは「店じまい」。
外資系の安い店の参入で、昔ながらの商店が
経営していけなくなっているそうです。 
そうして「モルゲシュトライヒ」は、日の出の時刻となる
午前7時20分を告げる教会の鐘が鳴るまで続きます。
午後はさらに盛大なパレード。
それまで各グループは集会所で、観衆はレストランなどで
ファスナハトの伝統料理、チーズと玉ネギのパイと
小麦粉のスープを食べて祭りの始まりを祝います。

006
この時期はレストランの飾り付けもファスナハト仕様。
お面をかぶって接客しているところもあります。

007
ファスナハト伝統のパン。
クミンがのっているシンプルなパン。
1月くらいからどのパン屋にも置いています。

008
午後のパレードは大きなトラック山車も加わり、
およそ2万人のクリッケが仮装をして街中を練り歩きます。

009
祭りの主役は、つきあがった大きな鼻にボサボサ頭、
大きな歯を剥き出した「ヴァッギス」。
多くの参加者が「ヴァッギス」のお面を被り、
紙ふぶきとお菓子やオレンジ、人参、タマネギ、
ミモザの花などを観衆に撒きながら練り歩きます。
大人も子供もヴァッギスが通ると大声で呼び、手をのばします。

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バーゼルのファスナハトは、毎年発行される祭りに
寄付をした証のバッチをつけていないと、
食べ物の代わりに大量の紙吹雪を投げつけられるルールなのですが、
たとえバッジを見えるところにしっかりつけていても、
頭からカバン、靴の中まで全身紙だらけ。

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小さな子供たちからキャンディーをもらうのは、
いつもと反対の立場でちょっぴり不思議な感覚。

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冷え切ったクリッケの体を温めてくれるのは、やっぱりチーズフォンデュ!

013_2
スキーができそうなくらい大量の紙吹雪。

地面が全く見えない!

014
ファスナハト最終日は、3日間続く祭りでピッコロを吹き
太鼓を叩き続けた極度の疲労、祭りが終わってしまう悲しみで、
お面の中は涙でびしょびしょになっている人もいるそうです。

最大の驚きは祭りの後。

午前4時を過ぎると一斉に清掃車が街を巡回し、朝8時の出勤時刻には
まるで祭りなどなかったかのように普段通り。
雪のように積もっていた紙吹雪は消え、山積みのゴミも回収されています。
しかし、服やバッグに潜んでいる紙吹雪がひょっこり顔をだし、
ピッコロとドラムの旋律が再び頭を駆け巡るのです。
この時期に合わせて来れば、スイス最大のお祭りも楽しめます!
来年のファスナハトは3月6~9日。

バーゼルファスナハト


※本記事は執筆ライターの同意のもと、他媒体にも提供されています。


写真・文/鈴木博美
旅行業界で15年間の勤務を経てフリーの旅行家へ。
旅を通じて食や文化、風土を執筆。
雑誌媒体等に海外各地の旅の記事を寄稿。
著書に一人旅に役立つ電子書籍「OL一人旅レシピ」
インド編、ベトナム・カンボジア編、エジプト編、
世界中の美味しい料理をおうちで作る「いつもの食材で作る世界の料理レシピ」。
ブログ「空想地球旅行」で旅のあれこれを発信中。